提督二ミッツの伝記の中で、米海軍は御忍びの筈の山本提督をどうして襲撃できたのか?そこも興味のある点でした。
今日、我が読書もそこまで来ました。
ある日真珠湾には飛んでもないニュースが飛び込んで来ました。日本軍が発信する無線をほとんど解読出来ていたのです。そして、米海軍は、山本提督の旅行行程を確実に掴んだのです。
提督二ミッツは山本提督の気質を十分掴んでいて、彼が時刻通り行動することもご存知でした。
提督二ミッツは、山本提督を襲撃すことは、重大なことであるため、ノックス海軍長官とルーズベルト大統領の承認を得て、部下のハルゼーに、山本提督を襲撃することを指示したのでした。
山本提督の行程は、米国航空基地から300海里以内と、これまた射程距離範囲内でした。
日本軍は2機の一式陸攻と6機の護衛の零戦、米軍は16機のP38戦闘機、内4機は攻撃隊、残りは護衛隊でした。
2機の一式陸攻は襲撃の結果、墜落。山本提督の遺体はその後、日本軍によって回収されました。
そして米国民も山本提督の遺体が回収されるまで、山本提督の死は知らされませんでした。
これも、提督二ミッツが山本提督の襲撃が日本の暗号を米国が既に解読できていたから可能だったことを、伏せるためでした。
提督二ミッツは、山本提督襲撃をするか、しないか部下に相談した時、部下が日本軍が提督二ミッツを殺害できた時の効果を申し上げた時、提督二ミッツは微笑んだそうです。
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1xer -novice
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